豆炭こたつ、恐るべし。
26時間経ってもまだ燃えているし、暖かい。
豆炭9個使用から始めて、今日は6個に減らしました。
それでも十分暖かいです。
さっきお風呂に入ってもらおうと主人に声をかけたら、こたつの中で眠ってました。
ゆっくりしてもらえたら、それで良し。
さて、本日は天へのはしご、てっぺんにいる人。
私の最愛のお方、エホバ。
彼も他の人類と同じく栄光を受ける前に、神であるにもかかわらず、すべてのものの下に身を落とし、全人類に及ぶ彼の民の代償を支払います。 ダビデの契約の条件の下で代理の救世主として、彼は神だけが行うことができる、神に対する背きの賠償を自分で行うことができない人々に代わって、正義が要求する代償を支払います。 モーセの律法によって示された犠牲の供え物として(古代では罪の赦しのために動物を捧げ物として祭司に差し出した)、彼は自分自身を捧げ物とし、民の罪を償い、悔い改めるすべての人に慈悲を広げることができるようにしました。堕落から人類を贖う「悲しみの人」としての地上での使命は、人類の歴史に影響を与える2つの最も重要な出来事でした。
神エホバは地球上の平和の治世(福千年、もしくはミレニアムと呼ばれます)を確立するために輝かしいシオンの王としてまもなく到来します。
2つの最も重要な出来事とは、
1、ゲツセマネの丘での罪の贖いです。この罪の贖いについて詳しいことは新約聖書には載っていません。抜き取られたかもしれない、と私は思っています。しかしながら、モルモン書が贖いについて新約聖書を強力にサポートしています。贖いとは悔い改めを条件に罪から人を清めます。そして人に罪を乗り越える力を与えます。
2、死からの復活です。イエスキリストが復活したことにより、すべての人は復活します。この祝福は滅びの子以外の全ての人に無条件で与えられます。
3 彼は人から侮られ、見下され、
悲しみの人で、苦しみを知っていた。
人々はこぞってその顔を彼から隠した。
彼は疎んじられ、わたしたちは彼を価値のない者と見なした。
4 それでも、彼はわたしたちの苦しみを担い、
わたしたちの悲しみに耐えてくださった。
ところが、わたしたちは彼のことを、打たれ、
神にたたかれ、低くされたと思った。
5 しかし、彼はわたしたちの背きのために刺し貫かれ、
わたしたちの罪悪のために打ち砕かれたのだ。
彼はわたしたちの平安の代価を負われ、
彼の傷によってわたしたちは癒されている。
イザヤ53章