天へのはしごを説明する時、イスラエルの神、と言う言葉を使っています。
イスラエルの神なら、私は関係ない、と思う人は多いと思います。
まさか、日本人の自分に古代イスラエル人の血など入っているはずがない、
そう思うのはもっともだと思います。
なので、私も自分の血統を宣言された時、なんだか不思議な気がしましたが、
色々福音の理解が深まるにつれて、「あり」だな、と思うようになりました。
古代ではイスラエルの種族は南のユダ王国と北イスラエル王国に分裂します。
北イスラエル王国はアッシリアに敗れ、その中のエリート達は奴隷として連れ去られる、または追放された。(これからアメリカ合衆国に同じことが起こると予言されています。)
その連れ去られた人々は後に世界に散らばり、イスラエルとしての自分たちの血を世界にばら撒く結果となりました。
なので、多くの人はイスラエル人と関係あるのです。
南ユダ王国のユダの民はダビデ、ソロモン、イエス・キリストが出た血統です。
ユダヤ人は良くも悪くも西洋社会では注目される存在ですね。
息子/しもべ - 神の選ばれた者または聖なる者
シオン/エルサレムのカテゴリーから霊的に上昇するのは、イスラエルの救世主である神を模倣し、神の属性と完璧さを同化することによって自分の人生を聖別する勇敢な魂です。
ダビデの契約の条件の下で神と個人として契約を結び、彼らはアッシリアのエルサレム包囲でヒゼキヤ王のパターンで他の人の代理の救世主として機能します。
試練と苦悩の中、一時的に降下する段階を通じてイスラエルの神に忠実であることを証明した後、彼らは神に似たものとして再創造され、神と無条件の契約によって永遠に渡る土地と子孫を継承します。
彼らは神の民に王と女王として奉仕し、神との契約関係を結ぶことを回復し、エホバが平和の治世を確立するために来たときのために地球を変容させる基礎を築きます。
王や女王なのに奉仕する、ってピンをこないかもしれませんが、キリスト教ではむしろ位の高い人ほど、人につかえる人なのです。
この息子/僕 カテゴリーにいる人は、神に忠実であるならば神が守る、との条件を超越した段階にいます。無条件で神はこの人々を守られます。
説明にあるヒゼキヤ王のパターンとは、民が王に忠実であるならば、王は神に民のために取り成しができる、つまり中東の古代の Emperor–Vassal Treaties、
民→家臣に忠実→家臣は王に忠実→王は軍隊を出して家臣を守る と言う取り決めに倣っています。
圧倒的な戦力を誇るアッシリアの軍隊がユダ王国を取り囲んだ時、ヒゼキヤ王の民が王に忠実であったために王は民のために神に取り成しを願い、それを聞いた神はヒゼキヤの願いを受け入れ、翌朝にアッシリアの軍隊は勝手に自滅していた(列王記19:35)と言う話です。
終末にはヒゼキヤ王のような神の僕が現れます。アッシリアのような軍事大国の王も現れます。神の民を悔い改めに導き、神と民との契約を復活させるのが僕とその仲間達の役割です。そして僕は民を現代のアッシリアの暴君から守ります。