wan chronicle

老犬との暮らし

チャビは今日も懸命に生きています

私の老化もすごいが、チャビの老化はだんだん深刻な域に入っている気がします。

 

一週間前はゆっくり散歩できたのに、次の日はほとんど前に進まなくなり、座り込むようになりました。

 

食事中も立っていられない。後ろ足ハーネスで支えてもダメ。

 

夜中の徘徊も始まり、少し歩いて座り込み、立てないとウォンウォン言ってます。

行って起こしてあげたらまた少し歩いて・・・の繰り返し。

 

かと思えば、昨日は調子良かったのか、1:30amに徘徊が始まり一度も吠えることなく1時間余りで徘徊終了。

 

私はいつ呼ばれてもいいように座って待機していたのに拍子抜けしました。

 

そして今朝はハーネスに少し慣れたのか、

50メートルほど歩けました。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

飼い主共に練習がいる後ろ足ハーネス

 

食事中は私の膝の上にお尻を乗せて座る感じで食べています。

 

しっかり私の足の上に座っています

今日はこんなでしたが、きっと日によって調子が違うんでしょう。

 

知恵で乗り越えられるうちは頭を使って工夫してサポートしていきます。

 

ところで、私は腰痛持ちなので、夜中や早朝飛び起きたりすると

軽ければ腰に違和感、重ければぎっくり腰になります。

 

今ぎっくり腰になったりしたら、チャビと一緒に地獄を見そう・・・

 

なので、予防のために寝る前のストレッチは欠かせません。

 

腰痛持ちなので椅子にはうるさいのですが、

先日コープで六百円で買ったドーナツ型座布団が意外にも私に合っていました。

 

娘には、

 

「お母さん、痔だったん?」

 

と聞かれました・・・・・(๑•ૅㅁ•๑)

 

 

 

痔ではありませんが、腰の悪い人には「座る」という動作が一番くるんです。

 

なので立つときには毎回そろ〜りと刺激を与えないように立ちます。

 

そして立った時にいつも感じる腰の違和感がこのクッションだとないのです。

 

それがわかってから、家の中ではクッションを持ち歩いています。

このクッション

六百円で楽になるなんて、ありがたやありがたや

 

 

そして、お待ちかね(誰も待っていない?)聖書の解釈シリーズ、

放蕩息子の話を終わらせます。

 

ルカによる福音書15章

 

11 またわれた、「あるひとに、ふたりのむすこがあった。

12 ところが、おとうと父親ちちおやった、『ちちよ、あなたの財産ざいさんのうちでわたしがいただくぶんをください』。そこで、ちちはその身代しんだいをふたりにけてやった。

13 それから幾日いくにちもたたないうちに、おとうと自分じぶんのものを全部ぜんぶとりまとめてとおところき、そこで放蕩ほうとうちくずして財産ざいさん使つかはたした。

14 なにもかも浪費ろうひしてしまったのち、その地方ちほうにひどいききんがあったので、かれべることにもきゅうしはじめた。

15 そこで、その地方ちほうのある住民じゅうみんのところにってせたところが、そのひとかれはたけにやってぶたわせた。

16 かれは、ぶたべるいなごまめはらたしたいとおもうほどであったが、なにもくれるひとはなかった。

17 そこでかれ本心ほんしんちかえってった、『ちちのところには食物しょくもつのありあまっている雇人やといにんおおぜいいるのに、わたしはここでえてのうとしている。

18 って、ちちのところへかえって、こうおう、ちちよ、わたしはてんたいしても、あなたにむかっても、つみおかしました。

19 もう、あなたのむすことばれる資格しかくはありません。どうぞ、雇人やといにんのひとり同様どうようにしてください』。

20 そこでって、ちちのところへかけた。まだとおはなれていたのに、ちちかれをみとめ、あわれにおもってはしり、そのくびをだいて接吻せっぷんした。

21 むすこはちちった、『ちちよ、わたしはてんたいしても、あなたにむかっても、つみおかしました。もうあなたのむすことばれる資格しかくはありません』。

22 しかしちちしもべたちにいつけた、『さあ、はやく、最上さいじょう着物きものしてきてこのせ、指輪びわにはめ、はきものをあしにはかせなさい。

23 また、えたうしいてきてほふりなさい。べてたのしもうではないか。

24 このむすこがんでいたのにかえり、いなくなっていたのにつかったのだから』。それから祝宴しゅくえんがはじまった

 

 

この息子は前の二つの譬え話、迷子の羊となくなった銀貨とは違って、

ある意味自分の意思によっての反抗、権威(当時のユダヤ人では父親の権威は絶大)に対する反抗でした。

反抗した挙句、父親から受け継いだものを派手な生活に費やし、自分の持分を無駄にしました。

 

しかし、環境による苦労を経験し、この息子は父親を思い出し、心から悔い改めました。

それは自分はもう息子ではなく雇人の一人で良い、と思う心に現れています。

 

帰ってきた息子を遠く離れた場所から見つけたのは父の方でした。

おそらく息子を案じて見晴らしの良いところで毎日帰りを待っていたのでしょう。

 

息子が帰ってきた時の父の喜びは、自分から走って行き息子が言葉を発する前に肩を抱いて接吻するところから読み取れます。

 

息子が心から悔い改めたことを知っている父は責めることもなくただただ喜ぶのでした。

このように父(天の父、神)は例え神を踏みにじる行為を過去に犯してしまったとしても、悔い改めて立ち返り、自分のもとに帰って来ることをたいそう喜んでいる、という話でした。

 

この話にはこの息子の兄がいて、兄の怒りの場面がありますが、それは父への信仰を持ち続けている人に当てはめる話なので、割愛します。

 

 

 

今年は暖かな11月ですが、冬は部屋の奥にも日が差してきて部屋を温め、

これもありがたいことだと思います。

一階の植物たちも喜んでいそうです。

日にあたっている植物たち

 

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました。