wan chronicle

老犬との暮らし

戦争とSNS

蝉が賑やかに鳴き始め、ようやくいつもの夏が来た気がしています。

今現在蝉の声が止んでいますが、雨が降るんでしょうか?

 

私と言えば、働きにも行かず、涼しい家に居られる喜びを感じています。

仕事をしていた時は膝が悲鳴を上げていたし、

皮膚も弱くなって植物、虫、汗にかぶれて湿疹ができたし、

自分としてはもう限界だったのかなぁと思います。

でももし今がもっと若くて健康だったら、働きたいと思ったでしょうね。

人と触れ合い、頭や体を使って労働するのは健全な事だし、

お金も入りますしね。

 

さて、最近TVの報道のあり方に疑問を感じてめっきり見なくなりました。

(ミヤネ屋だけは見ています。)

 

代わりにYoutubeをよく見るようになりましたが、

日経テレ東大学で、戦場カメラマンの渡部陽一さんが出ている回は

大変興味深かったです。

あの方、結婚されて子供さんができてから危険な戦争地域には行かないと

昔おっしゃってたのに、ウクライナに最近行かれたようです。ご無事で帰国されて良かったです

生で現地を見てきた人の言葉には力があります。

ウクライナの歴史と、世界における戦争というものをよく勉強しておられるな、

との印象を持ちました。

現世界におけるSNSの役割についても述べておられました。

これからの世界でSNSは戦争を止める力になるかもしれない、と。

意見を発信することが苦手な人は情報をまとめるでもいい、

長く自分が関わっていける方法を見つけてください、

と言っておられました。

 

https://youtu.be/pru-qSOzQDg

内容は変わりますが、黙っているのは容認していることと同じ、と考えて、

統一教会のことを前回書きました。

本当のキリスト教の原理を知っていたら騙されることもないはず・・・

残念です。

 

ーわたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは死人に任せておくが良いー

           マタイ8章22節

誤解のないように少し説明しますが、これは死者に対しての尊厳を持たず、葬式もしないで良い、という意味ではありません。死者を敬い、葬式を行うのはユダヤ人の伝統でした。この時の主の意図することは自分の目の前にある奉仕をやりなさい、ということ。死んだ人ではなく生きている人の救いのために働くことです。

 

-きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない-

         マタイ 8章20節

主はとても質素な生活をされました。救いの頂点である方にも関わらず・・・です。

 

ーあなた方は立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。ー                   イザヤ書 30章15節

信仰の先は主一人であり、主に立ち返るならば恐れることはないのです。ただ落ち着いて信じていなさい。そして主により力を得なさい。ということです。信仰の先は教祖と呼ばれる、時がくれば死んでしまうような人間ではありません。

 

 

 

チャビのこの世での時間はいつまででしょうか?

今はチャビなりに安らかに毎日を過ごしてくれています。

 

後ろ足の可愛さよ・・・💕

最後までお読みくださり、ありがとうございます。