今週一週間は足が痛むのをいいことに、
仕事から帰宅したら家では動かざるごと山の如し
でベッドの上で休んでいました。
横になっているだけでは暇なので、
(本は広げられないので、友達から送られてきた音声を聞いていました)。
そこにアダムとエバの話があり、興味を引きました。
聖書の中の、エバ(女)はアダム(男)の肋骨をとって出来た、
と言う話をご存知でしょうか?
は? 何で肋骨?
しかも現在男性の肋骨が一本足りないってこともないし。
これは何かの比喩なんだと思っていますが、その謎はまだ明かされていません。
ただ、男から取られた→男からなくなってしまったものがある。
男と女の違いは確かにあるので、これは理解できます。
男性は非常に理論でものを考え、女性は感情が豊かに発達しています。
つまり、感性が発達しているのだと私は思います。
この状況で言葉で言わないと気が付かないの?
と夫に思った妻は数多くいると思います。
言葉に出さずとも、相手の状況を見て思いやる、察する、
と言うのは女性の得意とするところですね。
こういう感情豊かな部分を男性は女性に取られてしまったので、
男性は女性抜きでは完全にはなりません。
男と女は父母から離れて結ばれ、一体となるべき、
との聖書の言葉はこういう理由からだと思います。
男性にも女性にも足りないものがあり、
二人いることで足りないものを補い合えるのです。
自分の体を憎むものはいない、
むしろ栄養を与え、大切にするものです。
と聖書は男性に説いています。
自分の体とは妻のことです。もと自分の肋骨ですから。
エバの名付け親はアダム、と言うことですから、
アダムは理解していたのですね。
自分とエバの関係を。
日本は家と言うものを重んじ女は嫁としてもらうもの、
と言う考えが根本にあると思いますが、
父母から離れて新しい家族を作るのが結婚、と私は信じています。
なので娘を嫁にはやりません。
相手の家にあげるのでなく、二人で新しい家族を作るために結婚してもらいます。
今の若い人の多くはそう思っているのでは?
むしろ年配の人が古い考えを持っていますね。
そして永遠に続いていく家族として、
親と子は(先祖と子孫)は愛情と言う絆で結ばれていくのです。
などとベッドの上でしたが、
なかなか普段考えない事を考えて過ごしていました。
これもまた良きことかな、足は痛かったけど(^▽^;)
寝ている間はおとなしく待っていてくれますが、
起きると早速自己主張が始まるもなかです。
世話をしないといけないので、
犬たちのおかげで寝たきりにならずにすみましたよ。
最後までお読みいただきありがとうございます。