昨日夕方、電車に乗って電気店まで行って来ました。
仕事が長引き、少し家を出るのが予定より遅くなりました。
家の近所の道を車で走らせていくと、(駅までは車)
お婆さんが道に座り込んでいます。
一瞬だけ見えたのですが、動けなくなっているのかも…と
Uターンして戻ってみると、座り込んで草抜きをしているだけでした('ω')
そう広い道でもないので、再びUターンして戻りはせず、
少し遠回りをして駅に向かいました。
遅れていたのにお婆さんを見に戻ったのは、
「よきサマリア人」の話を映像で見たせいだと思います。
よきサマリア人とは聖書の中のたとえ話です。
サマリア人は異教の外国人と結婚して、
宗教が外国の物と混じってしまい、
ユダヤ人からは嫌われていました。
あるときユダヤ人が強盗に襲われ、
身ぐるみはがされ、半殺しの状態で倒れていました。
そこを通りかかった祭司は知らぬふり。
レビ人(神殿で特別な役目をする、ある意味選ばれた人たち)
もよけて通りました。
そして次に通りかかったのは
彼はそのユダヤ人を見て哀れに思い、
傷の手当てをしてあげ、
自分の家畜に乗せ、
宿屋に連れていき、
介抱し、
宿屋の主人にお金を渡して
彼を見てあげるように頼み、
帰りがけに費用が足らなかったら払います。
と言って去っていった・・・
さて、この3人のうち、だれが襲われた人の隣人となったであろうか?
と言うイエスのたとえ話です。
映像では祭司もレビ人も手ぶらでした。
どうやって人通りの少ない寂しい道で
けがをして倒れている人を救えるのか?
サマリア人は旅の途中で、助けるために必要なものはすべて持っていました。
包帯、オリーブ油、葡萄酒(アルコール)家畜・・・。
彼は人を助ける備えができていた、と思います。
物質的なことではなくて心の問題です。
心の備えができていたと思います。
その映像を見たので、
私も車だし、お婆さんを家まで送っていける、
できることはしよう、とUターンしたのでした。
結局何もしませんでしたけど┐(´∀`)┌
その後JRの駅では電車の後姿を見送り、
乗り換えた駅では目の前でドアが閉まり、
帰りは人身事故でダイヤ15分の遅れでした。
駅で待ってるの寒かったです。( ゚Д゚)
電車のタイミングは狂ってしまいましたが、
あのまま知らぬ顔で車を走らせていたら
心に引っかかるものがあったと思うので、
何もしなかったけど見に行って良かったと思うのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。