wan chronicle

老犬との暮らし

タンポポ

 

絶好調に忙しく毎日を過ごしています。

もなかは見た目は変わらずいつも通り過ごしていますが・・・

心配ごとが増えています。

 

祈りつつ、道を探りつつ、できることをしています。

詳しいことはまた後程話すことができるかもしれません。

 

 

 

コースの課題で短いエッセイを読むのですが、

どれも短いながら教訓に満ちています。

 

その中でRobert Fulgum氏の”Dandelions"という作品が印象に残りました。

 

Dandelionsとはタンポポのことです。

タンポポは多くの人に雑草とみなされ、価値のないものと思われています。

 

この作品で作者は、除草マニアの隣人が

作者の敷地に咲くタンポポに除草剤を撒いていたところを止めに入ります。

 

「別に気にしないだろう?」

 

「するよ!うちの花を殺しただろう!」

 

「花だって?雑草だよ!」

 

「雑草というのは生えてほしくないところに生えるものを雑草と言うんだよ。

 

言い換えれば、何が雑草かは見る人によって違うんだ。

 

僕にとってはタンポポは雑草でなく、花なんだ。」

 

 

「そんなものは馬の糞になるだけだよ!」

 

と隣人は不機嫌に帰っていきました。

 

 

作者にとってタンポポ

 

庭を黄色い花で埋め尽くしてくれる、

 

それも何の世話も必要としない、

 

タンポポは自分のことは自分でするし、

 

こちらは自分のことを考えていればいい。

 

新芽はスパイシーなサラダになるし、

 

花はワインに入れれば風味をつけてくれるし、彩りもきれいだ。

 

根はこんがり焼くとコーヒーとして飲めるし、

 

柔らかいシュートは薬にもなる。

 

葉を乾燥させると鉄分、ビタミンA、Cに富み、便秘にも効く。

 

蜂はタンポポが好きでお互いの共同で高品質の蜂蜜を作り出す・・・

 

 

 

と他にもまだまだありましたが、

タンポポのすばらしさを伝えるのはこの辺で十分だと思います。

 

 

ある人には価値のないものとみなされるものでも、

それは彼が無知で無関心だから真の価値が見えてこないのであって

本当は類を見ないほど素晴らしいものである・・・

 

私が思ったのは

これは人間にも当てはまるのではないかと・・・

 

 

多くの人は俗にいう、一般的で、

特に人目を惹く華やかさもなく、

たいして秀でるものもない、と思われています。

特別じゃない、でも真の姿は人に与えるものをたくさん持っています。

 

タンポポが人の称賛を得たいと思わず

自分の道をただ進んでいるだけで満足している

(They just mind their own business.)。

 

そしてそんなタンポポを好み、本当の価値を知っている人がいる。

その人は必ずいる。

少なくともイエス様は一人一人の価値をご存じなんです。

 

キリスト教的価値観でいえば、

どれだけ持っているかではなく、

どれだけ与えることができるか、

が本当に豊かに持っている人だと思います。

 

その豊かさは形あるものに限りません。

 

神は自然の中に、タンポポというどこにでもある植物の中に

人に向けたメッセージを残してくれました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。